OST-WEST-FRIEDENSKIRCHE
(GERMANY)
DIY好きは必見!「ミュンヘンの隠者」が暮らした場所
フラウエン教会、ペーター教会、ミヒャエル教会…ミュンヘン市内には見応えある教会が数多くあります。でも、変化に富んだ建築様式、凝った装飾や天井画は確かに美しいけれど、正直ちょっと肩がこるなぁ、と思ったことはないでしょうか。そんな人にお薦めしたいのが、ホッとして思わず笑顔になるような場所、東西平和教会です。
この教会はミュンヘン市内北寄りにあるオリンピア公園の中にあります。トラムとバスの停留所Infanteriestrasseで下車したら、アッカーマン通りを渡って右に向かって下さい。正面にオリンピアタワーが見えます。歩道橋の手前を左に入るとそこが公園の入口です。公園内の道は決して真っ直ぐではなく一本道でもないのですが、とりあえずメイン通りとおぼしき道を直進して下さい。しばらく歩くとやがて左側にいくつものテントが建っているのが見えるはずです。そのテント村の奥の木立の入り口に「Ost-West-Friedenskirche」と記された白くて丸い看板が掛けられています。
この教会の創設者、後に「フェーターヒェン(お父さんの縮小形)・ティモフェイ」と親しみを込めてよばれることになるロシア人、ティモフェイ・プロホロフがミュンヘンにやって来たのは1952年のことです。彼は聖母マリアから「西に移住して私のために教会を建てなさい」というお告げを受け、それを実現するために長旅の末この町に辿り着いたそうです。戦後7年経っていたとはいえ、当時まだ豊富に残っていた瓦礫や廃材を利用して、ティモフェイと妻ナターシャはミュンヘン市の北の外れに自力で小さな家と教会を建てます。教会で祈ったり庭で野菜や果物を育てて静かに暮らす二人は、次第に住民たちからも愛されるようになり、彼らの住む場所がオリンピック会場の建設予定地になった時も、市民らとマスコミが市に反対したことによって退去を免れることができました。ティモフェイは2004年に110歳で亡くなるまで「ミュンヘンの隠者」として親しまれ、数多くの人が彼に会うためにこの場所を訪れたそうです。
さて、門を通って庭の中に入って下さい。左側に見える小さな教会の扉を開けると… 雑然さに一瞬息を呑んだ後、目を奪われるのは銀色の天井ではないでしょうか。今はアルミ箔になっているようですが、建設当時はチョコレートの銀色の包み紙で覆われていたそうです。
彼らが最初に建てた家は博物館になっていて、展示された多くの写真や記録を辿りながら、二人の暖かい人柄や当時の生活の様子を窺い知ることができます。緑で一杯の庭を歩くと、どこか田舎の村に来たような錯覚に陥ること必至です。とにかくそこにある全てが手作り感満載!かつてのミュンヘン市長ウーデ氏がこの場所のことを「ミュンヘン市で最も魅力的な違法建築物」と愛情を込めて表現したことがあります。言い得て妙だと思いました。