WIENER FLAKTÜRME
(AUSTRIA)
戦争の負の遺産、ウィーン高射砲塔は廃墟からよみがえる
ハプスブルク家の栄華で知られる、音楽の都ウィーンを散策していると、異様な雰囲気を放つ巨大なコンクリートの塔を見かけることがあります。
ウィーンの優美な街並みにそぐわず、周囲に溶け込みがたい威圧感を感じさせるこの建物は、一体なぜ、何のためにこんなところにあるのでしょう?
高射砲塔の歴史
この威圧感のあるコンクリートの建物は、第二次世界大戦の頃にナチスによって作られた巨大な防空要塞、「高射砲塔」(Flakturm)です。
第二次世界大戦の時、オーストリアはドイツに併合された形で参戦しました。高射砲塔は、敵軍の爆撃機を発見して、撃墜するために急ピッチで作られた、鉄筋コンクリート製の39〜55mの高さの建造物です。
こんな戦時の無用の長物が、ウィーンにはなんと6基も残っています。道理で結構な頻度で目にするわけですね。
高射砲塔には、高射砲が設置された砲戦塔(Gefechtsturm, G塔)と、レーダーを備えた指揮塔(Feuerleitturm, L塔)の二種類があります。二基がワンセットとなり、数百メートルの距離を置いて通信専用トンネルで連結されています。ウィーン上空を守るため、シュテファン大聖堂を中心に三角形の頂点にそれぞれ二基ずつ配置されたので、ウィーンは合計6基の高射砲塔があるわけです。
ナチス時代独特の建造物として、ベルリンやハンブルクなどのドイツの大都市にも作られ、その一部は現存していますが、6基そのままの形で残っているのはウィーンだけです。
高射砲塔は空襲から街を守ると同時に、非常時には住民が内部に避難できるように作られていたので、爆撃に耐えられるよう、壁は2〜4メートルもの厚さがあります。内部には、迎撃用の高射砲やレーダー、指揮所、弾薬庫などだけでなく、長期籠城に備えた発電機や貯水槽、医療施設や食糧庫までありました。更に、地下にバンカーと呼ばれる防空壕もあり、本格的な避難用施設となっていたわけです。
また、全ての高射砲塔は、兵站や逃走経路のために鉄道への接続も合わせて設計されており、現在も近くを走るトラムの路線に接続できるよう、追加の線路が引かれていました。急ピッチで建設されたにしては、かなり緻密な計画だったのですね。
戦後無用の長物となってしまった高射砲塔ですが、頑丈すぎて取り壊すには費用がかかりすぎる上、街中で安全な破壊が難しいため、ウィーンでは6基全てが現存しています。悪目立ちしたまま廃墟となってしまったこの負の遺産は、現在どのような道を歩んでいるのでしょうか。
水族館と軍所有の秘密基地
最も有名な高射砲塔といえば、水族館として再利用されている「ハウス・デス・メーレス」(Haus des Meeres、「海の家」)です。エステルハージー公園に建つ四角柱のL塔は、戦後ユースホステルや天文観測所として使われたこともありましたが、研究者たちにより、水族館と海洋研究所に生まれ変わりました。
廃墟が学びの場にリメイクされてしまうなんて、驚きですね。建物両翼にはガラスの温室が作られ、外壁にはボルダリング練習用の足場まで作られました。もちろん入場料を払えば、内部を見学できます(現在内部が公開されている唯一の高射砲塔です)。また、地下の防空壕部分は、現在は拷問をテーマとした博物館となっています。
水族館の11階には資料室があり、内部で発見された遺物や歴史などを垣間見ることもできます。さらに最上階の12階まで上がると、ウィーンを臨む絶景テラスカフェがあります。戦争中はここから空襲に来た敵機を確認し、砲撃したことを想像すると、美しい景色が少し違って見えますね。
また、この塔と対になるシュティフツカセルネ(Stiftskaserne)のG塔は、6基のうちで唯一オーストリア軍の所有となっています。周囲にも軍関連の建物があるので近づくことはできませんが、水族館の屋上のテラスカフェから、その円柱型の姿を眺めることができます。
この塔は国会議事堂から近いため、非常時には議員たちがここまで逃げることができる地下通路があり、ここから国家の指揮を執ったり、籠城できるようになっているそうです。
廃墟となったアウガルテンの高射砲塔
ウィーンの中心からほど近い閑静な住宅地に、広い敷地を誇るアウガルテン庭園は、高級陶磁器アウガルテンの工房や、ウィーン少年合唱団の寮があることで有名です。
このののどかで広大な公園では、二基の巨大なコンクリートの高射砲塔が異様な雰囲気を醸し出しています。アウガルテンは観光客もよく立ち寄る有名なスポットですが、高射砲塔の事を知らない人も多く、不思議そうに見あげる人が絶えません。
G塔が円柱形、L塔が四角柱の形をしていて、公園の両端に400メートル離れて建っています。この二基の塔はウィーンで最も高く、最後に建てられたため最も高性能でした。
民間企業によってデータセンターとして利用される計画がありましたが、住民投票によって反対されたため、現在はこのどちらの塔も使われず、廃墟となっています。
柵で囲まれていますが、周りをぐるっと歩いてみると、コンクリートの割れ目から木が生えていたり、塔の中に鳥が巣を作って出入りしている様子がうかがわれます。異様な外観でありながらも、自然と共生しつつある様子がうかがわれました。
民間利用の試み
残りの2基はアーレンベルク公園(Arenbergpark)にあり、G塔はウィーンで最も古く、サイズの大きい高射砲塔となります。また内部には、建設当時の落書きが多数残っており、フランスやイタリアから連れてこられた強制労働の痕跡が見られる唯一の塔となっています。
現在G塔は、応用美術館(MAK)の芸術作品倉庫として使用されています。公開はされていませんが、今後アートイベントなどで使用される可能性があるとのことです。
また、最後の一基のL塔は、庭園協会の倉庫として使用されていましたが、内部の湿気が高すぎるため撤退。その後データセンターとして使われる計画がありましたが頓挫し、現在は借り手を募集中とのことです。
高射砲塔は歴史的建造物保護の対象となっているため、原形を大きく変えることはできず、内部は荒れ放題で、空気も悪いため、なかなか内部を使用できる状態にするのは難しいのでしょうね。
まとめ
ウィーンにある戦争の負の遺産、6基の高射砲塔の歴史と現在の姿をまとめてみました。
水族館に姿を変えてリクリエーションの場となったもの、現在でも国防の一翼を担うもの、倉庫として利用されるもの、有効な使い道が決まらないもの、廃墟となり草木や鳥の住処になったものなど、6基それぞれが異なる現在の姿を歩んでいます。
戦争の遺物を取り壊さず、持て余しながらも共存して、「歴史の生き証人」として過去の教訓にしていこうとするウィーン人の姿が、この高射砲塔の今の姿に現れているように思われます。